31日

震災から20日経った3月末日 今日は市内雨がシトシト降っております。
今週はボランティアで近所のブロック塀を壊して運んでました。慣れない肉体労働で異常に腹筋にきてます。最近はスーパーにも肉や野菜、魚などが入ってきており、買い物の不自由さも無くなってます。酒もちゃんと入荷してます。煙草の入荷が少ないらしく、スモーカーの人達は煙草が無い...と嘆いているみたいですが、考えてみれば放射能より酒や煙草の方が間違いなく体に悪い。皆から必要とされてる物は、煙草や酒みたいな気分転換できるものではないでしょうか?そういう意味で先日のサッカーチャリティマッチは被災地の若い人たちに届いたと思います。ただ、被災者の多くは高齢者だと思うので、そういう人達にも何か無いですかね?何かアイデアないでしょうか。
ボランティアというものは善意で無償でやるものであって、そこに無理があってはいけないわけですが、一方で仕事で支援活動をやってる人達もいるわけで、ボランティアをする人達は本当に「何か手助けになれれば」という気持ちだけで体を動かしている。色んな境遇の人たちが集っている。そこではもはや不要な意見や思考は必要なく、ただ目の前にある大なり小なりの課題をこなすという事だけが必要となっている。頭よりも体を動かす事が本当に求められる。一人一人では限られる力を、合わせて、少しずつ、ですね。
やっさん

26日

今日は普通の休日でした。といっても職無しになりつつある自分にとっては毎日が休日ですが。
昨日撮影した写真をアップしました。だいぶ重機で道路が整備され、震災直後とは見違えたようですが、まだまだ傷跡が深い、という印象です。こんな廃墟が仙台なのか...と溜息が漏れます。
多賀城45号線と10号線付近http://f.hatena.ne.jp/newcine/2011.3.25%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%9F%8E%E5%91%A8%E8%BE%BA/
荒浜近辺http://f.hatena.ne.jp/newcine/2011.3.25%20%E8%8D%92%E6%B5%9C%E5%91%A8%E8%BE%BA/
やっさん

25日の夜

震災からあっという間に2週間が経ちました。昨日は軽い気管支炎になってしまい、一日休んでましたが、今日は良くなったので思い立って、荒浜→仙台港近辺→多賀城を自転車で周って撮影してきました。2週間経って本当に道路も整備されましたが、それでも散乱する瓦礫と車の量にやはり震災と津波の大きさに再度驚かされました。特に多賀城市役所近くの45号線はたまに車で通ったりする場所なので、そこが大破した店舗や折り重なった車とで散乱してるという風景に再度直面しました。本当に信じられないという気持ちが湧いたのとと、現場でそこに居合わせていたらどうなっていたかと想像すると言葉が出ません。後日その映像と写真はアップしますが、本当にキリが無いほど、同じような場景が国道のみならず近辺の道路にて展開しています。被害の大きさは予想以上でした。
そして、あの日から、自分の環境と生活が文字通り一変しました。あの日、普通に会社でPCに向かっていた時、地震速報が鳴り、大きな揺れと共に、次々と蛍光灯やPCの電源がパツッパツッと落ちていきました。確かに大きな揺れですが、「まだ外に非難するほどでもないのかどうか?」という判断に迷いながら、徐々に電気が落ちていくのを見ながら、自分はサンダルのままで外に出ました。外では同じように会社から出てきた人たちが動揺した表情で周りをキョロキョロしていました。パニックになるほどでもなかったですが、近くの20階近いビル群が、まるでコンニャクのようにグニャグニャと揺れてる様を見て、更に大きな揺れが来るのではないかとハラハラしました。揺れは長く続きました。揺れというか、まるで地球が大きく揺れ動くのを感じました。ビルが次々と崩壊するのではないかという恐怖を感じ、とにかく道路で周りの大きな建物を皆で凝視していました。誰かが「これが宮城県沖地震か?」と言いました。余裕がありつつも笑みはこぼれません。同じビルの5階くらいにいた人が何故か笑って外を見ていました。原付に乗ったおじさんが携帯のテレビを見てました。津波は10mという情報が入ってました。その時は「それは無いだろ」と思いました。しばらくして落ち着いた後、街へ出ると、人が皆外に出て、道路が人で埋まってました。その時はそれほどの被害はなさそうだと思いつつ、自転車を走らせました...。
今朝、うちの水道が復旧し、蛇口から水が出るようになりました。仙台もまだ都市ガス(30万世帯くらい?)は復旧してませんが、もう少しで復旧する見込みらしいです。そして自分の仕事は無くなりました。この劇的な変化が11日に起きました。多くの東北人にとって、2011年3月11日は全てを一変した日になりました。
やっさん

22日の朝

三日間、マルシエジャポンのボランティアにて支援物資の仕分け、積み込み、マルシエの交通整理などを多少なりともお手伝いしてきました。
仙台アーケードにて衣服などの物資を募集してたわけですが、同じダンボールに色んなものを詰めてくると、本当に面倒な事になるので、物資は分かり易く1箱に1種類がベストです。
友人の会社でも、会社ぐるみでトラックを食料を手配し、1万食ほどの食料を運びながら毎日避難所の小学校を回っているとの事でした。
街中ではとにかくどこも大行列になってる有様ですが、食料や日用品は毎日のように入ってきてるようなので、必要なものだけ買うようにしたいですが、それにしても、よく並ぶな〜というくらいどこも並んでます。
経済活動が行われる事は悪い事では決してないです。皆さん必死で生きる為に、稼ぐ為に、モノを売ってます。しかしながら被災された地区の現状は本当に過酷な状況になっているようです。http://ameblo.jp/gagle/archive2-201103.html#main 皆が先が見えない状況の中で、仕事がある人、仕事によって支援できる人は思う存分力を発揮して欲しいと思います。一方で自宅待機という事でほとんど無職になりつつある自分のような人間も多くいます。ますます自分の存在の小ささを感じる毎日の中で、ふて腐れずにやれる事を「探して」そして「動いて」いくしかないなと思います。
やっさん

19日の朝

昨日18日は朝に近所のSEIYUに並び、2時間待って食料と酒と紙おむつを購入。紙おむつは姪のものがちょうど無くなってたので、ちょうど良かった。そこは野菜とか生鮮食品の入荷はなかったようでしたが、菓子やラーメン、ソーセージや飲料水などの入荷があったらしく、入荷分は陳列されることなく送られてきたままの形で店頭に並んでました。皆焦る気持ちは多少あるとも、混乱状態になることも無く買えるだけ買おうという感じで買いこんでました。
午後は再度若林区のボランティアセンターに行くも、まだ支援物資のちょっとした運び出しや、ボランティア活動自体のビラ配りなどに留まってる様子。「明日になれば活動要請が増えるのでは...」とボランティアを仕切ってるおっちゃんの顔もちょっと困り気味。
電気は宮城県内はほとんど復旧した模様(家が残ってる地区ですが)。となるとオール電化の家はほとんど通常通り生活できてしまってる...その様子を見ると「すごいな〜」と単純に感じてしまいますが、うちも蛇口からは水が出ず、ガスももちろん無いですが当面問題なくやっていけそうです。
自分も含めて、これからの生活に不安を持ち始めている人は沢山いると思いますが、家や会社が流されたり、家族を失った人達の事を考えれば、まだまだ恵まれている!と考え、今日もやれる事を考えて活動します。
やっさん

七日目の夜

今日は買出しだけで一日が終わってしまいました。
とにかく仙台は今年一番の信じられないくらいの雪が降り、今夜は道路も凍結するほど冷え切ってます。一晩でこんなに風景が変わってしまうのも非常に珍しい。もはや何があっても驚かないというほど、色んな変化が日々起こってます。午前は青葉区の街中には物流のトラックが来るのも見れたので、確かに食料が少なからず入って来てるようで、アーケード内でも昼間は弁当を作って売る(ある意味たくましい)人たちが多くいました。どうやら山形から来てると思しき人たちも野菜などを売っていて、皆がとにかく買いだめしているという状況が昼間はありました。午後は本格的に大雪が降ってしまい、自転車移動もなかなか困難な状況でした。
飲食業の人たちは、何とかたくましく営業しようと頑張っていますが、私の会社は見通しが暗いという話になってます。自分も無職になるかも知れませんが、とにかく当面は食料の確保(これはそう長くは必要としないと思います)と、ボランティア活動を続けていくつもりです。ボランティアに参加すると自分1人でやれる事は本当に限られてるな、という事を実感するばかりですが、少しずつでも復旧の力になれればそれで良い、という考えです。
やっさん

7日目の朝

昨日は午前中猛烈な雪が降っていた青葉区ですが、午後から快晴になり、今日の朝も寒いですが若干の太陽光が指しています。昨日は若林区にて多少のボランティアに参加、家を無くした人たちを前にどうしようもないという気持ちにもなりましたが、とにかくポジティヴに行くしかありません。
夜は余震も多く、なかなか眠れない日が続いてますが(嫁さんは割りと平気で寝てるのがまたすごいが)、それでもそれは皆が平等に対面してる事なので、悲観的になってる場合ではない。朝起きて、今日は何をするか、と考える毎日ですが、今日も生きるために行動してきます。
被災地外の皆さんには義援金、および買い込みをしない事、そして何より普通に生活してもらって、経済活動を滞らせない事をお願いしたいと思います。物資は区役所までちゃんと届いてます。そこから徐々に動いていけば、徐々に供給が安定していくはずです。ピース。
やっさん