4月21日の夜

一週間ぶりです。こんばんは。やっさんです。
今週は書類の確認でハローワーク行ったり、ボランティアに荒浜や多賀城に行ってます。会社からMacを譲ってもらったので(intelPCじゃないのが残念だ)、その為のデスク作成もしてました。壊れた本棚を分解して切って、更に引き出し式のデスク部分も板で作って、カスガイをはめて...、形にはなりましたが、また更に改良しなくてはいけないかも知れませんね。


先日改めて荒浜地区をボランティアで行ってきましたが、うーむ、一週間前と全く変わってない。
遠くの方に見えるのが海岸線に植えられてる防砂林というやつで、この木が手前まで流れてきてるわけです。この辺も元々は結構家があったらしいですが、地平線になってます。田んぼや畑にも瓦礫が散乱してますが、誰一人片付けてる人はいません、そこまで手が付けられない。家の片付けを手伝いはしてますが、その作業も終わりがまだまだ見えない地道な作業でして、そしてまたこの荒廃した土地に住めるかどうかという展望もまったく無い。
そうした所に住んでる人達は、皆ギリギリのところで生き延びて、今があります。この前聞いた話では、『津波が来るのが見えて、急いで近所の家の2階に駆け上がった。その前に孫を迎えに行くという娘には、「自転車で行った方が良い」と伝えてて、自転車で戻ってくる途中に波にが来た。もしも車で行ってたら、非難できずに車のまま流されていただろう。隣の家の家族の1人は亡くなった。近所の家では相当な数の盗難事件が頻発してたから、今でもみんなでパトロールしている...』
瓦礫は散乱してるものの、今は一見、本当にのどかな田舎町。そんな所がそんなに過酷な状況に陥っていたとは、同じ市内に住んでいても分からない。市内にも非情な温度差が絶対的にある。仙台市街地は普通の生活に徐々に戻りつつある。朝になればサラリーマンが普通に通勤している。そこから5km先では瓦礫が散乱し、砂埃が舞っている。TVで見れば非常に力強くもあり、さっぱりしてる所もあり、忍耐強くもあるように見える被災者の方達ですが、直面した津波経験談を聞くと本当に凄まじい。そんな方達が、自分の家も無いのに、どこからかもらってきたお茶やジュースをわざわざ出してくれる。自分もそういう東北人になりたいと切に思った。
やっさん