忘れてはいけない体験

震災から3週間経って、ガスはまだ来てないものの、身近な生活はかなり元に戻っている。余震もかなり減った。朝になって外に出ると、そこにはいつもの光景が広がっている、ように見える。しかしながら地震当初の忘れてはいけない体験を言葉に残しておこうと思う。これは東北の全員が体験した事の一部に過ぎないだろうけど。
・信号が止まり、譲り合いで車が行き交った。自転車屋からは自転車が消え(みんなが急いで買った)、自転車で行き交う人たちが増えたが、皆が余裕が無く目の前しか見えずにいつもぶつかりそうになった。
・数日電話が通じなかった。
・停電し、夜の街のアーケードが真っ暗になっている光景を見て恐ろしかった。そして上を見上げると見たことも無い星空が現れていた。今はもう見えない。
・夜はロウソクとラジオで過ごした。映像でその状況を把握する事が出来ず、言葉だけでその状況を聞いていくと恐ろしかった。どこまでが被災されたのかも分からなかった。とにかく余震が大きくてそして多く、本当に眠れない夜が数日続いた。緊急地震速報が心臓に悪い。そしてその速報が間違ってる事もしばしばあった。
・いつまでライフラインが復旧するか見通しが無く、いつもライトを持ち歩いていた。貯水タンクが壊れているケースが多く、うちも蛇口から水が出せるようになるまで時間がかかった。それまでは下から水を汲んで、バスタブに貯めて使った。
・灯油を節約するため、早く寝た。羽毛布団があっても、夜は非常に寒かった。
・マンションでも行き交う人たちが声をかけ合った。皆が「食べ物、水はちゃんとあるか?」と言い合った。
・ラジオで「あなたは1人ではありません。あきらめないで下さい」と繰り返し放送していた。地震から数日して山田ひさし(たぶん)がずっと喋りっぱなしで勇気付ける言葉と音楽をかけてくれた。緊張感ある番組しかなかったので、彼のDJは相当多くの人たちの緊張を和らげてくれたと思う。
・県外の知り合いからメールをもらった。ありがたかった。
・友達みんな無事で、それぞれがそれぞれの状況でもタフに生活していた。落ち込んでる人はいなかった。
まだまだライフラインが無い状況で生活している人たちがいる。本当に過酷な状況だと思う。救援、支援を続けてくれてる人達には心から感謝したい。
やっさん