社長の映像コラム2「映像コンテンツの行方」

難しいタイトルですが難しいこと、そんな話せません…。
ただ、どんな時代にも先を読むことは必要だと思うわけで、で、「映像」を取り巻く環境は今後どのような変化を見せるのでしょうかと思うわけです。
映画というメディアが力を失いつつあるとう意見があります。映画館→テレビ→動画配信を受信できる携帯端末 というシフトが起こり、映像は共有するものから所有するものへ変化しているように思われます。大勢の人が暗いホールの中で同時に目撃していた出来事から、極めてパーソナルな、いつでもどこでも体感できる携帯型体験へと移っているのです。立派な劇場映画も多くの収益をDVDや配信などの二次使用に頼っています。この流れは加速するようで、携帯電話のPC化やipadの出現などがそれを後押しします。
このような状況にあって、僕が注目したいのは映像というジャンルへのニーズは衰えていないという点です。むしろ映像が出力される場面はどんどん個人的スペースへと変わってきているのですから、極端にいえば人の数だけ映像が必要になるはずです。いうなれば「ナンバーワンでなくオンリーワン」。益々多くの映像コンテンツが必要とされるようになるのではないでしょうか。これは自主制作というスタイルにとって歓迎すべきことのように思われます。高いクオリティーをクリアーしないと立てなかった舞台が降りてきたわけで、商業意識が無くとも個性と熱があれば商品になりえる時代なのです。
この追い風に乗りたいものです。しかし、世代のせいでしょう、僕はやはり映像の中でも「映画」と呼ばれるものへの強い憧れと思い入れがあります。ノスタルジーがあります。片手間に観る体験では人の人生は変えられません。あらゆるカラクリが仕込まれた時限爆弾に圧倒されるのが映像コンテンツの中の「映画」と呼ばれる種の凄さなのです。